引っ越しして迫害されたあなたへ 松井の人生…Part3 横浜 金沢八景 腰痛 整体

FROM整体院より…


こんにちは!横浜 金沢八景唯一の慢性腰痛整体 整体院瑛由院長の松井です!


6歳になる頃神奈川県に行くよと父親に言われた私はてっきり親戚の所に遊びに行くものだとばかり思っていました。(荷造りをしていたので今考えればそんな訳はないのですが)


県営住宅の人たちとお別れパーティーをやり、何か餞別のようなものをもらっていたのと思います。事情を聞かされなかった私は両親に「ねぇ、いつ兵庫に帰るの?」と連呼したのを憶えています。


そして祖父、祖母のいる神奈川県三浦市に移動しました。


以前より「おじいちゃんはいっぱいお小遣いをくれる」「おじいちゃんはおもちゃをすぐ買ってくれる」と聞かされていたので期待して三浦市に行きました。


ところが祖父はすぐに亡くなってしまい、おもちゃもお小遣いも貰えず悔しい思いをしました。(子供なので…)


小学校入学まで間もないため幼稚園等も行かずニートのような生活を送っていました。祖母や両親から「この辺は寿永と同じくらいの子がいっぱいいるからすぐに友達ができるよ」と言われていたので、兵庫にいる時の感覚でみんなと打ち解けようとしました。


しかし!待っていたのは厳しい現実でした。周りの同年代は兵庫弁を喋る私を見て、
「お前の喋り方気持ち悪い」
「お前と遊びたくない」などと言われ、誰一人として友達にはなってもらえませんでした。


一人で外で遊んでいてもつまらないので自然と家の中で遊ぶことが多くなりました。この頃家の中の娯楽といえばテレビを見るか家にあるおもちゃで遊ぶか(私の家はおもちゃをほとんど買ってもらえない家庭でした)台所にある食材で自作料理?のようなものを作るかしかありませんでした。


ある日突然玄関のガラス戸が突然割れる音がしました!何かと思い窓から外を伺うと私を迫害した近所の子供達が私の家に向かって石を投げているのです!


私が見ていることに気づくと
「気持ち悪いやつは兵庫に帰れ!」
「頭に当ててやるから出てこい!」
などと叫んでいるのです。


信じられませんでした。兵庫ではあんなに楽しかった友達つきあいが三浦では地獄の日々に変貌しました。


本当に殺されてしまう!と思いました。


1、2分ほど玄関に石が投げ込まれましたが両親が出てきて「石をなげるのをやめろ!」と恫喝したため子供達は逃げていきました。


それからもしばらくは誰とも遊ばない日々が続いたのです。


結局それからどうしたのか?


私は半年ほどかけて兵庫弁を標準語に直しました。イントネーションの違いなども緻密に研究し必死でした。全てはバカにされないようにです。


そして兵庫なまりが出なくなったある日、周りの子供達が私と遊んでくれるようになったのです!


その時初めて努力して何かを成し遂げることの喜びを知ったと思います。


同時に人間のひどさや心変わりを知った時でもあります。


もう関西弁はほとんど喋れません。私に会ったときも関西弁、兵庫弁はできないので注意してくださいね!笑


つづく………


いかがだったでしょうか?子供にしてはかなりヘビーな体験だったと思います。引っ越しして周りとうまくいかない方は参考にされてはいかがでしょうか?


本日もブログをご覧頂き誠にありがとうございました!




横浜 金沢八景唯一の【慢性腰痛】専門整体 整体院瑛由

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