働いたら負けの真実 松井の人生Part7 横浜 金沢八景 腰痛 整体
こんばんは!横浜金沢八景唯一の慢性腰痛整体 整体院瑛由院長の松井です!
そして高校3年生になった私は大学でも行って適当にのんびりやろうと考えていました。(そもそもこの時点で認識がおかしいのですが)
しかし親からの返事は「NO」。大学に行かずに働けということでした。田舎でしたし、ちょうどバブルが弾ける直前でまだ高卒でも就職できれば何とかなるだろうという風潮がありました。
今考えるととんでもない発想ですね。今は大卒でも就職浪人がいるという就職難なのに…
ウチは大学に行かせる余裕ないから。といった事を平気で言われていたと思います。後防大に入って家に金入れろといったことも言われた気がします。
不条理な親の意見と大学に行けないというのが相まって親と大喧嘩になりました。そもそも働く事についてお金が入る手段としか考えていなかった当時は「そんなの言われても何して働くの?」と普通に思っていました。
大喧嘩した挙句親に「大学行くか?」と聞かれましたがもう意地になり「いかない」と言ってしまいました。
私の高校は学力自体は低くはないのですが大学に行く人は半々でした。仕方なく就職先を探す事にしたのです。
実は警察官採用試験を2回受けています。2回目は自宅まで警察の方が見えて励ましの言葉をかけてくださったのですがそれは表の顔。
素行調査なるものがありその警察の方は近所に私の素行を聞きに回っていたようなのです。私の若い頃といえば挨拶もせず近所の方と絡むことはありません。まず間違いなく悪い評判しかないと思います。
2回とも落選しました。
私がまともな人生を歩もうとすればするほど何かがそれを邪魔する。思えばその頃から始まりだったのかも知れません。
その結果、ロクな就職先は見つからず高校を卒業しました。ほとんどの卒業生は進学先や就職先が決まり明日からの新しい旅路を歩いていきます。
私はもうヤケになっていました。そして働きもせずニートになったのです。
一体それからどうなったのか……
それからどうしたのか……
ハイ!これで第一部誕生〜学生編は終了です。記憶があいまいになっているところも少しありますがほぼ事実を書けたと思います。
一旦これで人生編は止めます。思ったより長くなってしまったので、腰痛整体ブログから外れそうなので。
また近いうちにやると思いますのでお楽しみに。
本日もブログをご覧頂き誠にありがとうございました!
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